流れ星







「くはぁ、寒ぃなぁ!!!」

思わず身震いをしてジェットは声を荒げた。

時間はすでに深夜。
あたりはどっぷりと日が沈み、星の輝きがかすかな光源になっていた。
ギルモア博士の自宅は、海岸線に面しているため地遠く近くから波の音だけが優しく響いている。

「まあ、今は深夜だししょうがないよ」

そうジョーは苦笑して、吐き出す息の白さに目を細める。
初冬とは言え、海岸近くで深夜1時すぎ。底冷えがするとまでは言わないが、待つ身には少し堪える寒さだった。

「にしても、寒ぃ!!!まだ初冬なんだろ?なんでこんなに寒いんだよ」

ニューヨーク育ちといえども寒いものは寒いようだ。思わずくしゃみを連発しそうになり両手で覆った。

「ほぉ、博学じゃな、ジェット。すっかり『日本』に馴染んでおる」

後方から光源が二人の間に差し込み、振り返る。と、そこには着込んだギルモア博士とフランソワーズ、彼女に抱えられたイワンの姿が飛びこんできた。

こうして続々とベランダに集まるのにはそれなりのわけがあるのだが……。

「ま、当然だろ」

「動機が不純なのはいただけないけれど……」

自信満々に答えてみたものの、鋭い洞察力を持ったフランソワーズに一瞥された。彼女の能力を知っているからだろうが、どうも心中読まれているようでジェットは口を尖らせた。

「うっ、うっせえな、フランソワーズ。こんな夜中まで起きてるとお肌に悪いぜ」
「あら、それは大きなお世話よ、ジェット」

なぜかいつもこの二人、ジョーを目の前にすると仲が悪くなる。言葉がトゲトゲしくなる二人のやりとりに肝を冷やしたのはもちろんギルモア博士だ。

「まあまあ、止さないか、二人とも。……理由はどうあれ、午前1時を回って騒ぐのは近所迷惑だぜ」

「ハインリヒ、起きていたんだね」

その博士を救ったのはドアに背を預けた格好でその姿を覗かせたハインリヒだった。

「あぁ、年に一度しかみられないというからには、起きておくに限るだろう?」

フランソワーズとジェットのやりとりにハインリヒは少し含み笑いをみせたが、それだけだった。二人は年が近いからだろう、ジョーが加わるとどうしても賑やかになる。その理由に気がつかないハインリヒではないのだが、色恋沙汰に口を挟む年齢でもないようだ。

「そうじゃな。年に一回のことじゃからな。……で、他のみんなは?」

ギルモア博士は内心安堵のため息を零しながら、残りのメンバーについても気になるようだ。年に一度のこととはいえ、この時間にまで起きておくのも珍しいとは思うのだが……。

「張張湖が台所で夜食を作ってますよ。ピュンマとジェロニモは……ほら、来たようだ」

夜食を作っているだろう張張湖の姿を思い出してハインリヒは小さく笑い、次いで博士たちの後ろ、部屋の入り口に姿をみせた二人に目で合図する。
ジェットたちが振り返れば、そこにいたのはジェロニモと防寒具を纏ったピュンマだった。ピュンマの首にはマフラーも巻かれている。

「なんだなんだ、その格好。真冬じゃねぇんだぜ」
「仕方ないだろう……こんなにも寒い中、外にでることなんかないんだから」

いくら夜はアフリカの台地も冷えこむとはいえ、日本の冬のしかも真夜中ほどではない。ピュンマの格好を笑うジェットもつい先ほどまで「寒い寒い」と連呼していた。
慣れているとはいえ、やはり『寒いものは、寒い』ということだろう。

「流れ星は昔から尊厳の象徴。……これくらいは当然だ」
「今夜はそれがたくさんみられるなんて……楽しみだわ」

あまり表情を変えることのないジェロニモもどこか面持ちは穏やかで、フランソワーズはつられて夜空を見上げた。
海岸に近いということもあり、都心に近い割には星の輝きははっきりと見える。今夜はとくに雲一つなく、大小様々な星がその光を放っていた。

「あれ?グレートブリテンは?」

そういえば、もう一人足りない。張張湖は厨房に入っているから姿がないのはわかるが、もう一人、英国紳士の姿がない。

「英国紳士の身だしなみ……とかなんとか言っていたが」

キョロキョロ見まわすジョーの視線を追ってハインリヒも部屋の入り口に目を向けるがまだ姿がない。

「我輩ならばここだよ、諸君」
「遅いぜ、英国紳士」
「身だしなみには気を使うのがポリシーなのだ………ってやっぱ寒いなぁ」

皮のコートに身を包んだブリテンの姿にジェットが鼻で笑う。息が白いから外気が冷えているのもわかるが、厚着し過ぎのような気もする。

「はいはいはいはーい、おまたせぇ。張張湖特製の温か雑炊だよー」

巨大なお盆にズラリと並んだお碗の数々。どれもこれも盛大に湯気を上げ、美味しそうな香りを周囲に振り撒いている。手早くみんなに一つ一つを配りながら「熱いからねぇ」と付け加えた。

「こいつは温まりそうだ。頂くよ、張張湖」

ふうふう……と息を吹きかければ白い湯気が寒空に消えていく。丁度星を待ちつづけて体が冷えてきたところだ。ジョーはスプーンを片手にアツアツの雑炊に手をつけた。

「アチチチチ、熱すぎだぜ」
「なにゆうか、『熱いはごちそう』とゆうね」

勢い良く口に放りこんで思わず咽かえるジェットに張張湖はそっと肩を竦める。
『熱いはごちそう』……たしかにその通りなのだが、熱いうちにしか食べられないといういわば料理としてはマイナス目の時に使われがちなことは、張張湖といえど知らなかったのかもしれない。

「ま、まあ……それはそうなんだけど」

それても、知っていてもプラン思考に持っていくバイタリティあふれた彼ならではのセリフなのかもしれない。
ジョーはすこし苦笑を浮かべつつも、手の中の温かい雑炊に舌鼓を打つことにした。

「頂きましょうよ」
「そうだな、折角だし頂こうか」

ハインリヒに雑炊を手渡しながらフランソワーズもその美味しそうな香りに微笑みを浮かべた。
順々に手渡して行った雑炊はギルモア博士の前で途切れた。心配げな顔を見せる博士の前にズズイっと張張湖が取り出したのは巨大な粥皿である。

「ギルモア博士には、こっちの野菜てんこもり雑炊ね」

張張湖が説明をしなくても見ただけで理解できる超野菜大盛の雑炊がお盆の上に乗っていた。野菜といっても健康に良いとされる「葱」や「ほうれん草」など緑黄色野菜ばかりだ。いったいどこにご飯が入っているのかもわからない特製雑炊にさすがの博士も目を瞬かせる。

「おぉ、こ、こ、これは野菜ばかりじゃな。わしもみんなと同じものでよかったんじゃが……」
「駄目よ、博士。しっかり野菜もとらなければ」

いつまでも元気でいて欲しいよ、と付け加えられれば何も言えずギルモア博士は野菜てんこもり雑炊を手に取った。

ハフハフ……とみんなしばらく湯気に隠れて空腹を補う。温かい雑炊に身体の芯からポカポカだ。

『みんな揃ったようだね』

頃合を見計らったように頭の中で声が響く。
この声は、耳に届くものではないがしゃべれない彼からのテレパスなのだ。

「イワン!!!君も目が覚めたのかい?」

ゆりかごの中で瞳が微かに光を帯びている。ジョーは籠の中を覗き込み、ゆっくりとイワンを抱き上げた。

『せっかくだからね。ここからの眺めはステキだから』

15日間の眠りを要する彼も、この星の祭典には目を寒さずにはいられないようだ。促されて眼下に視線を向ければ、星星の輝きと今は音しか聞こえないが、静かな小波とか見事に調和している。

「海が眼前に広がっている。……確かに良い場所だ」
「後ろは丘になっているし、博士は良い場所に家を建てられた」

ハインリヒもジェロニモも思わずそう声を上げずにはいられない。ギルモア博士は少し照れたように雑炊を頬張った。

「いやぁなに、コズミくんの薦めじゃよ。……お、そろそろ時間ではないかな?」

日本に逃げてきた彼らをなにも言わずにかくまってくれた人物。コズミ博士の助力がなければ、今の我々はないといっても言い過ぎではない。それを皆が感じているからこそ、言葉には出さない。

空に再び視線を向ければ、星星の輝きはますます目に眩しく感じる。寒さを耐えて待ったかいがあるというものだ。

「待ちに待ったぜ、まったくよ」
「そんなにそわそわするものじゃないわ」

うずうずしているジェットとフランソワーズを見て、ハインリヒはそっと笑みを浮かべた。彼らだけではなく、自分を含めた仲間たちが星の流れるさまを今か今かと待ち望んでいる。

「時間的にはそろそろだ。雲もないからはっきりと見えるだろう」
「ドキドキするよ………………あっ!!!」

そろそろ……と思っていた彼らの前に長い光が右から左へと流れ落ちた。目を奪うには充分の美しい光の流れ。
ジョーが思わず声を上げた先に目を向ければ、流れる星がその筋を観客へと焼きつける。

「わぁ、ステキ」
「長いな………おっ!!!!あそこでも」
「こっちもだ、さすがに流星群だぜ」

歓喜の声がそこここで上がる。
流れ星というのは、確かに早々目に出来る物ではない。それもあるが、幻想的なその姿にはどこか人々の目を惹きつけて止まないものがある。
―― 今も昔もそれは変わりがない。


「毎年この時期には見られる『しし座流星群』じゃよ」

ギルモア博士が一つため息を吐いた。それは、感嘆のため息に他ならない。
夜空を舞う光の帯は、時に2つ、時にはクロスしながら2つも3つも姿を現す。その幻想的な雰囲気に誰もが息を飲む。

「こんなにたくさんの流れ星、始めたよ」
「森の中で見る機会はあったが、海だとまた違うな」

草原を生きるピュンマも森に生きたジェロニモも、また一味も二味も違う星の流れに目を奪われる。
そんな中、フッと零すような笑みがハインリヒに浮かんだ。

「ここでひとつ『時よ、止まれ。おまえは美しい!!!』と叫んでおくべきだな」

少し皮肉めいた声音にフランソワーズは目を瞬かせる。

「なんなのよ、それ?」
「おや?知らないの?かの有名な……」
「『ファウスト』の一説。ゲーテの代表作ともいえる作品の主役が叫ぶ言葉……だったかな?」

ブリテンのセリフを遮ってハインリヒは薄く笑った。

「ご名答。……博学だねぇ」
「いや……そのセリフしか覚えてないさ。聞いた当時は皮肉めいた言葉だと思ってな」

その『当時』がいつのことをさしているのか……誰も知らない。口にしたハインリヒすら苦笑を隠せはしなかった。あの時は、確かにこんな未来がくるとは思ってもいなかったのだ。 

「皮肉?……まぁ、確かにね。我々はこうして『時を止められた存在』なわけだから」

そっとブリテンは肩を竦める。
今更何を言っても元に戻ることは出来ないのだから……。

「あぁ……でもまぁ、この夜空の流星をみればそう叫びたくもなるだろうな」

流れる星があまりにも多い。どうしてそんなに急ぎ流れてしまうのか。
詩人でなくともこの美しい瞬間をとどめておきたいと思ってしまう。

今の、この戦いのない時間が永久に続くのならば、それでも構わない……そう錯覚させるほどに。時間は止まることがない。

だから、人々は、自分たちは「生きて」いるのだ。


「流れ星といえば………私もあまり好きじゃないのよ」

ふと、口を開いたのはフランソワーズだった。そっと視線を足元に落とし、表情にわずかな翳りが見える。

「え?どうしてだい?」
「おい、ジョー……」

何も知らないジョーの発言に、彼女の言いたいことがわかったジェットは釘を指すが、既に遅い。
あの状況を地上で見ていた彼女たちには、ジェットとジョーは流れ星のように見えていたからだ。それを後で聞いたジェットはその話題に振れないようにしていたのだが……。

「だって、もう少しであなたが……」
「あの闘いの最後のことを言っているのさ」
「ご、ごめん、フランソワーズ」

自らの死すらも覚悟したあの瞬間、待っていた彼女のことを思うと申し訳なくてジョーは視線をさまよわせる。一緒にいたジェットもあの時ばかりは「駄目だ」と思っていたのだ、彼女が心配していてもおかしくない。 

「そうだぜ、終わったことに今更グダグダと……こうして生きてるんだからいいじゃ」
「それもあるけど、なんで助けにいったのがジェットなのよ!!!!」

「はあ?」

唐突なフランソワーズのセリフに一同呆気に取られた。ジェットなど言葉の意図が掴みきれずに大口をあけてしまったくらいだ。ジョーは相変わらず目をパチパチさせている。その様子から理解を望むのは難しいだろう。 

「わたしだって心配してたんだから」

思わず両拳を握るフランソワーズに周囲は気持ち半歩退いた。彼女を怒らせたら恐ろしいとジョー以外は気付いているからだ。

「それはオレだって同じだ。あの時は心配した。なのにオレは飛べないし」

そっと肩を竦めてからかうような口調でハインリヒが割りこむ。 

「博士、私にもジェットと同じの装備させて欲しいわ!!!」
「お、おいおいおい」

なぜか矛先が変な方向へと向き始め、ジェットとギルモア博士は両手でそれをなんとか制止した。 

「えぇ、ま、まあまあ落ちつくんじゃよ、みんな。ほ、ほら、星がいっぱい流れておるぞ」

今は流れ星の話であって、改造の話ではないし……と心配げなギルモア博士。
周囲に住宅のないこの場所には、他に聞こえるのは波の音と、気のせいかもしれないが、星の流れるかすかな音。
そう、後者は悪までも気のせいなのかもしれないが、これだけ星が流れるとその音が聞こえてきそうなくらい星が近いのだ。 

「お星様、食べたらどんな味なのか、わたし気になるね」
「機会があれば食べてみれば……」

みんなで空を見上げながら、ふとこぼす張張湖の呟きにピュンマが微かに笑った。 



『実際、二人を助けたのは僕なんだけどな……』

そんなイワンの声がこっそりと聞こえたような聞こえなかったような。


「星に願を……か」

ぽつりと告げたジェロニモの言葉に皆が黙って空を見仰いだ。


流れ星にかける願いは、ただ一つだけ……。




――― 今日も世界が平和でありますように。











■「しし座流星群」にあわせて書いてました。
初の「全員集合」そのうえ、+ギルモア博士です。みんなで和気藹々と流星観測です。ジョーを巡ってフランソワーズとジェット、そして実はハインリヒのバトルが勃発していたのですが、なんとなく野暮天ジョー君にはわかってもらえなかったようで。