BLUE BIRD








―― ねぇ、忘れないでバトー。あなたがネットにアクセスする時、私は必ずあなたの傍にいる。




頭の中で繰り返す、聴き慣れた声。電脳の海に消えた彼女の姿を今でも街中から探してしまう。そんな自分に気付いてバトーは人知れず溜め息を吐いた。

現実と仮想とが共存しているこの社会は、今も彼女がいたはずのあの日から始まっている。

本来持ち合わせて生を受けたはずの物も今ではわずかしか残っていない。能力を高める代償として生身ではなく、人工的な身体を手に入れる。まるでいつでも交換可能な機械のように。
それでも人間は生きて行かねばならない。この社会に産み落とされた瞬間から、本来の死という眠りが訪れるまで、歩みを止めることはできない。その中で果たしてどれほどの人間が、己という個を特定するに至るのだろうか。

色とりどりのネオンが灰色の空へとシグナルを送っている。見上げる空はどこまでも遠く、それでいて地を這う人間たちは見上げた空の広さに焦がれる。
のろのろと無気力な人間の流れが、バトーの傍をまるでぬるま湯の川のように流れていく。ただ独り逆流しながらバトーは黙って歩きつづけた。


電脳の海に消えた少佐。

何を探し、どこにたどり着こうとしている?

そこにあるのは、何だ?


疑問は沸き続けても、バトーを納得させられるだけの答えは与えられない。
誰にも無関心なこの街のように、流れにまかせている者達から得られる言葉はないのだ。ただ垂れ流される情報が、堰きとめた壁を押し破って氾濫している。

不意に足を止め、バトーは振り返った。傍らを吹き抜けていく風を肌寒いと感じ、衿を寄せる。機能一つで極寒にも耐えうる身体を持っている者が、だ。そうしてバトーは気付く。傍らに彼女の存在の無いことを。
この感じる寒さは彼女がいなくなってからだ。彼女が己を探すべく電脳の海へと消えていった、あの時から、徐々に自分を侵食していく孤独感。



「……守護天使、か」


そう自嘲気味に笑ってバトーは再び歩き始めた。
我ながら「守護天使」とは良く言ったもので、ピンチになったら必ずどこからか現れる。まるで幸運を運ぶ青い鳥だ。いつも近くに感じながらも彼女に触れることはできない。胸の真ん中に開いたこの空しさの穴は一体どうやったら消し去ることができるのか。バトーにはわからなかった。

(それでもお前は行くのだろう。無限に続くネットの海へ)

酷く曖昧な現実と仮想との境界が、より深い壁を作っている。触れるという錯覚すら許されない。まるで置いていかれたような複雑な感覚にバトーは溜め息を吐くより他にはなかった。

(なぁ、時々すべてを置いて行きたくなるが、お前はそれを望んではいないんだろう?)

俺がそっちに行くことを……とバトーは空虚な世界に呟く。
時折、何の気まぐれか現れる彼女の存在に、救われている気持ちになる。だが、実際のところ、本当に救われているのはどちらなのか。
いくら、仮の姿として現れても、彼女は言わない。共に来て欲しいとは、決して言わない。
彼女は望んではいないのだろう。バトーが同じ電脳の海に訪れることを。まるで現実の世界へ帰るためのただ一つの目印のように。




――― 忘れないで、バトー。




耳に残る彼女の声にバトーは僅かに口端を笑みの形へと歪めた。




「……忘れるはずがねぇよ」


忘れる理由がない。この記憶がすべて抹消されたとしても、覚えているのは記憶のレベルではないからだ。失われるはずがない。それだけはバトーは胸を張って言える。

靴音が乾いた音を立てる。行き交う人々の流れに逆らいながら、雑音のひしめく路地を抜け、そうして帰路に着く。彼女がいなくなってから飼いはじめた犬が待っている。

誰かがいなくなって、誰もいない部屋に帰るのを恐ろしく感じた。



(……たまには顔を出せよ)


俺が孤独に食い殺される前に……。

お前がネットの海に沈む前に……。


声に出さず、電脳回線に乗せる。専用コードは彼女宛。そうしておいて、少しばかり女々しさに自嘲する。

彼女が去ってしまったあの日から、俺の今は始まっていた。そうしてこれからも続いていく。お前と一緒に……。


そして、いつかたどり着こう。

お前が求めた場所へ、探しに行った先で、見たことも無い新境地に俺を案内してくれ。





「なぁ……素子」


















イノセンスを見てからのバト素のつもり。いつもは会えなくてでも時々会えるなんてなんだか天の川の伝説みたいですな。