この手を離して





風が激しく吹き荒れる。崩れた建物の支柱が剥き出しになり、視界を奪う砂煙が立ち込める。
テロによって生じた爆発の威力は最小限であったにも関わらずこの現状を招いた。
公安9課の元にその情報が入ったのは爆発予告が入る直前。いや、前もって届いていた予告が9課に届いたのが、ということだ。良く言えば統率が取れたというのか、縦割り社会の典型的な流れに荒巻が愚痴を飲み込んで指示を出した。その間の時間は9課に流れてくる時間のコンマ数秒にも満たない。

爆弾の解体が思いのほか手間取ったのは、仕掛けられた場所が地上数十メートルの高さにあることと、一般市民の避難が遅れたためだ。
連鎖するいくつかの爆弾を解除し、時間の間に合わなかった一つだけが、威力の一番小さいものだけが、高層ビルの一角を吹き飛ばした。

それがこの現状だ。



「手を離せ」

そう淡々と素子は告げる。
爆発に巻き込まれ、宙に放り出される寸前を辛うじて掴んだバトーへ素子はそう口を開いた。
時間の関係で手段を選ばなかった素子が己の片腕を吹き飛ばし、崩れた支柱を片手で受け流したためにオーバーフローした残った腕を掴んだ。いつものバトーならば片手でも充分支えられるのだが、他の爆弾を解除する時に強引な手を使って関節に不具合が生じているのは確かだ。
だが、この高さで手を離すということがどういう事態を招くくらいは彼でなくともわかりすぎる。

「なっ、正気か?この高さからじゃあ、いくらお前の義体といえタダじゃあすまねぇ!」

「このままでは2人とも落ちる。いいから手を離せ、バトー」

手を離せば落ちるのは素子だ。そんなことはわかりきっているにも関わらず、彼女の声音には恐怖の色も焦りの色もない。いつもと何ら変わらない淡々としたもの。

「冗談じゃないぜ。お前を放すくらいなら俺が落ちる」

四肢を支えている鉄材を曲がるほど強く握りバトーは怒鳴った。
強風でこの高さだ。風がまるで凶器のように吹き荒れている。大声でなければ届かないが、バトーの声はそれだけではない。

草薙素子というのはこういう女だった。
どんな状況でも焦ることなく、冷静沈着に物事を運ぶ。少しのムダもなくスムーズに仕事をこなす。だが、何かイレギュラーなことが発生すれば、それに対する処置の手段を選ぼうとはしない。

いくら人類が義体というすべを身につけ、幾らでも体の替えが効くようになったとしても、死に対する恐怖を失うことはない。本能に刻まれた生への渇望とともに、全ての終わりである死に対する恐怖もまた決められたものだ。

だが、彼女にはそれがない。

自ら死を迎える可能性が高い方法でも、それが最善であると判断した時、少しの躊躇もなくその道を選ぶ。生への執着にまったくの感心を示さない彼女の姿に見る者はすべて危惧を抱く。バトーなどことさらに。

「任務に支障をきたす。バトー、これは命令だ」

「しらねぇよ」

「バトー」

名を呼ぶ声すら淡々としている。それに苛立ちを覚えバトーは義眼で彼女を見た。

「知るかよ」

強い口調で頑なに言い放つと、バトーは口を真一文字に結んだまま、決してその手を離そうとはしなかった。






呟き*バト素……です。なんだろ、これ。