温かい背中 ずいぶんと日差しの温かな昼だった。今日は風もなく、気の抜けるような柔らかい空気が広がっている。屋上のアスファルトはずいぶんと太陽の光で熱を帯び、眠気を誘う快さが思考を鈍らせた。だからというわけでもないが、屋上のドアが開いたと気付くのは遅かったのかもしれない。 「なんだ、沢田。お前も来てたのか?」 耳に刺さるようなでかい声。脳内に響き渡る轟音に慎は眉を顰めた。相変わらずというか、いつもアホのように笑っている顔しか見せない担任、ヤンクミだ。女だてらにとはいわないが、俺たちをよく見ている先生だ。眼鏡を取れば美人の部類に入るのに、と慎はぼんやりと思っていた。 「なぁ、空が青いなぁ」 眠気が反応を鈍らせるというのは、本当だろう。寝ぼけ眼の慎の傍へやってきたヤンクミは、不意に彼の背中に己の背中を預けた。背中合わせの状況と、寄りかかる負荷に慎はようやく事態を悟る。慎の背中を背もたれ代わりにしながらヤンクミはのんびりと背伸びをした。陽光でアスファルトはすっかり温かい。 「ヤンクミ、重い」 不覚にも容易に背後を取られて慎は素っ気無く呟いた。ヤンクミは華奢だとはいわないが、実際触れる感じからして細身だ。しかも無駄のない締まった背中のように思える。意識すると無意識に顔が熱くなるのは若き青少年だからだろう。若さは時に自分でもどうしようもない。 「いいじゃないか、沢田。背中くらいけちけちしないで貸してくれたって」 「貸してもいいけどな、何か返してくれるのか?」 ヤンクミの揚げ足を取るつもりで慎は告げて口元を笑みの形に歪めた。だがこのとき、まだ覚めきらぬ慎の頭は、ヤンクミが度を越した鈍さを持つ女ということを忘れていた。 「おお、返してやるぞ」 「え?」 呆気に取られるほどあっさりとヤンクミは笑いながら、慎の腕を取って自分の方へと引っ張った。今まではヤンクミが慎の背中に己の背を預けていた格好から一転し、今度は慎がヤンクミの背中に背を預ける格好になる。 「ほら、私の背中を貸してやるよ」 「な……」 顔がみるみる赤くなるのが自分でもわかる。だが背中合わせだからヤンクミには見えない。身を硬くした慎に気付くことなく、ヤンクミは温かい日差しを満喫していた。 「こうして空を見上げてのんびりするのも良いもんだよなぁ、沢田」 「……まあ、そうだな」 触れた背中が温かくて慎はそっぽを向きながら空を見上げる。背中の感触に顔はきっと赤くなっているだろう。そんな顔を間違ってもヤンクミに見せるわけにはいかない。俯いたまま背中をヤンクミに預け、慎はしばらく無言のまま手で己の顔を仰いた。 きっとヤンクミにはどんなつもりもないのだろう。生徒と先生、そういう間柄以上の気持ちは抱いていないはずだ。もしも抱いていたのなら、こんな真似を素面ではできない。少なくとも慎には無理だ。 嬉しいような、哀しいような複雑な心境に慎は眠気すら忘れて溜め息を零したい衝動に駆られた。 不意に背中に感じる重みが更に増したような気がして、肩越しにチラリとヤンクミをみる。緩みきった笑顔に幸せそうな半開きの口、ずり落ちかけた眼鏡のままヤンクミは静かに寝息を立てている。この穏やかな日差しは確かに眠気を誘うには充分で、ついさっきまでは自分も誘われていたのだがあまりにも寝つきがよすぎないか。慎はそっとため息をつきながらも口元をほころばせた。 「貸しなんだか、借りなんだか」 襲ってもいいのかな、と真剣に考えたが、背中の温かさに幸せを感じ慎は黙って座っていた。 背中合わせは眠れません(笑)でも人の体温は心地よいらしいです。 |