階段









西に傾き、山際に隠れる紅の陽光が校舎の剥げかけた外壁を朱色に染める。日中は生徒の声で賑やかに溢れかえっているこの学び舎も、放課後ともなれば静かなものだ。

本来の姿を取り戻した……といってもいい。




「今日も一日終わりかぁ……やっぱり早いな」


二つに結んだおさげがわずかに揺れる。縁の薄い伊達眼鏡をかけなおし、この学校に二人しかいない女性教師……の一人。山口先生ことヤンクミは大きく背のびをした。
放課後とはいえ、生徒全員が帰路につくわけではない。トイレや屋上で未成年の喫煙などなど、怒りの鉄拳が最低二発はおみまいされるようなことをしていないとは残念ながら言い切れないのだ。ヤンクミは帰る前に学校内を見回っている。それはもう日課だった。

「トイレも異常なし……ま、週末だからな当然かな」

「なーに、男子トイレ覗いてんだ」

振り返れば、3階に続く階段から声がした。

暗がりの中、誰かが階段を下りてくる。

静まりかえった廊下に靴音だけが響く。ヤンクミは言葉もなく固まった。もともと怪談モノは大の苦手だった。みるみる顔色が青くなり、目が宙を泳ぐ。






「そんな趣味があるとは知らなかったな、ヤンクミ」

階段の下から三段目まで降りてきたその人物は、そこでふと足を止める。夕闇に辺りは薄暗くなっていたが、それでも誰かぐらいは判断できた。ヤンクミは大きく安堵のため息を吐く。

「沢田!!!………び、び、びっくりさせるなよ、お前は」

少しばかり髪の長い学生、沢田慎。彼はヤンクミのクラスの生徒であり、今までもさまざまなやっかいごとに巻き込まれている節もある。彼女の正体を知っても態度を変えることはしなかった。
思わず言葉に詰まるヤンクミを相変わらず飄々とした面持ちで見下ろし、慎はそっと肩を竦める。

「お前が勝手にびびってんだろ」

「う、うるさい!!沢田、お前も早く帰れよ」

照れ恥ずかしいのもある。ヤンクミは口を尖らせたまま、そっぽを向いた。その姿に慎はまた笑みを零す。面白くてたまらない……と表情が物語っているのだ。

「お前は……まだ帰らないのか?」

階段の手すりに背を預け、慎は問い掛ける。まだ笑いの余韻を納めきっていない表情で。
ヤンクミは額にかすかだが青筋を残しながら、再び階段の上の慎を見上げた。数段の差なのに身長の差もあるのだろう、ずいぶんと慎は大きく見える。

「私?……私はまだ校内の見回りがあるからな」

見上げながらヤンクミは、どこか呆れたような笑みをみせる。
長い影が二つ、廊下に伸びた。

「なら、屋上も見るんだろ?」

「あ?あぁ、これから行こうとおもってたところだ。なんなら沢田、お前もくるか?」

屋上に続く階段から姿を現した沢田にもう一度屋上へ上がろうというのもなんだか変なもんだと感じながらヤンクミは凛とした声で呼びかける。

「いいぜ」

どこかもったいぶる言い方だが、彼らしい。
だが、口元に浮かんだ笑みにヤンクミは思わず顔をしかめた。

「なんだよ、人の顔をジロジロみやがって」

学校では伊達メガネを着用しているヤンクミとはいえ、その奥にある瞳には強さがある。見詰られるとどこか照れるのは男の性だ。

「やけに素直じゃねーか、沢田。さてはお前も怖がりなんだな」

いたってまともなツッコミに慎は思わず力が抜けた。もともと色恋事には疎いヤツだとは思っていたが、ここまで鈍いんじゃあ野暮天どころじゃない。篠原にもテツにもある種、同情する。

「怖かったのか?」

「ち、違うのか?」

二人して顔を付き合わせる。
慎の呆れたような呟きとヤンクミの焦ったような声はどころ対照的だった。

「当たり前だろ。学校でビビってどーするよ」

「そ、そうか。学校っていうとだなぁ、七つの怖い話があったりしてだなぁ……屋上に上がってたりしたらそりゃあもぅ……」

七不思議という学校の怪談話は、全国津々浦々までも広がっている。例えヤクザ集が平気なヤンクミとはいえ、苦手なものがないわけではない。むしろ目に見えないものの方が彼女にとっては怖いのかもしれない。
以前教室で怪談話をしていたときも、あまりの怖さに思わずカーテンを開けて中止にしてしまったのもヤンクミだ。思い出した慎が口端を更に吊り上げたことに彼女は気づかない。
おもむろに慎は右手を上げ、ヤンクミの後ろを指差した。

「後ろに人がいるぞ」

ぽつりと呟いた言葉にヤンクミは目を瞬かせる。
慎の告げた内容が一瞬彼女の頭の中で理解されなかった。だが、遅れること十数秒。だんだん目が見開く。降ろさない慎の右手の先に何があるのか、理解までこぎつけたヤンクミの額には冷や汗。
そして……

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーっ!!!!!!!」

廊下に響くヤンクミの悲鳴とともに慌てて慎の後ろに逃げ込んだ。学ランの裾にしがみつき、片目をそっと開いて今まで自分のいた廊下を見る。

……だ、誰もいない。

夕方の涼しい風だけが音もなく流れていった。

「本当に誰もいない!?」

顔を顰めてヤンクミは呟く。繰り返し繰り返し周囲を窺い、また目を瞬かせる。その様があまりにも面白く、黙って眺めていた慎はとうとう吹き出した。

「…………冗談にきまってんだろ」

「さ、沢田ぁーーーっ!!!!!」

からかわれたとようやくわかったヤンクミが拳を握り締めたのを見て、慎は笑いながらも彼女と距離をとる。数段の階段をリズムよく駆け下りて、笑いの余韻を残しながら今度は慎がヤンクミを見上げた。

「んなもん本気にするやつなんて…………ま、ヤンクミくらいなもんか」

してやったり……という気持ちが慎の顔にありありと浮かんでいて、鼻で笑われてもヤンクミは膨れっ面を浮かべておくことしかできない。やり場のないこの怒りをまさか校舎に向けるわけにもいくまい。

「あぁー、もう知らん!!」

とうとう投げやりに告げヤンクミは大きく息を吐いて階段を登り始めた。屋上に続く階段を一段一段踏み締めながら登っていく。

「待てよ、ヤンクミ」

足早に彼女を追いかけて階段を登り始める慎。
聞く耳持たず……といった素振りだが、態度ほど怒っているわけではない、ヤンクミ。

静寂な校舎の片隅で、慌しい靴音が二つ、階段に反響していった。




二人して階段を駆け上り、屋上へ続くドアを開いた向こうには朱に染まった街並みが眼下一面に広がっている。


ドアの開く音とその歓声を耳にすれば………きっと、そうに違いない。




ドラマ「ごくせん」のヤンクミこと山口くみこ、と沢田慎のやりとりがすごく好きでしたvvv原作もめちゃめちゃ面白いので、続きも楽しみなんです。からかいつつもヤンクミのことが気になる慎くんの活躍や………いかに。