池袋アンダーグラウンド













そこは夕闇の間近に迫った駅裏だった。
南池袋と東池袋を通る荒川線のある駅の裏に神社だが霊園だったか山のようになっている。少し離れて首都高が空を走っていて、ここからだといつも見慣れたサンシャイン60もビル郡に紛れて見えない。
いつもならこんな所で遊ぶことはないから見慣れぬものが多かった。目の前に勇み佇む頭足らずな連中もそれに入ることはいうまでもない。


事の起こりは、数日前。
あまり仲の良くない私工の奴らが喧嘩を吹っかけてきて、クラスの奴が何人かとばっちりを食らった。どっちが喧嘩を売ったのか知らないが、何にせよ口よりも手のほうが早い連中ばかりだからある意味どっちもどっちなんだろう。

そのとばっちりがいつもと変わらぬ放課後に俺のところにもやってきた。

校門から出た直後手渡されたのは一通の手紙。ラヴレターなんて色気のあるものじゃない。だって野郎の汚ない字で「果たし状」なんて書かれているんだから。わざわざ開けなくても中身の予想はついたが、一応念のため開けてみる。案の定、寸分予想と違わぬ文面に思わず絶句する。呆れたという方が正しいか。



「名前、間違ってるし」

思わず零した。文面にデカデカと書かれた名前は明らかに自分のものではない。渡された時には気付かなかった。それもそのはず、「強そうな奴に渡してくれ」と頼まれたというのだから、渡した奴も、頼んだ奴も誰もそれが誰に宛てたものなのか知らずにいる。こんなバカな話で良いのか。

しかも、「安藤 誠」って、誰だ?

安藤という苗字は、知る限りクラスメイトの安藤崇のことだろう。
あいつは強いなんてものじゃない。フットワークやパンチ力が桁外れ。なのにジムどころかそれらしいところに通った経験もない。見様見真似と本人は言っていたが、才覚のある奴は違うと思わざるを得ない。
今まで一度でもあいつが膝をつくところを見たことがないのも事実だ。

この果たし状自体、タカシ宛てなのか、俺宛てなのかわからなかった。
本気なのかどうかも謎だけれど、真正直に呼び出しの現場に出向く方も方だが、頭数そろえている奴らも奴らなのではなかろうか。



喧嘩はだいたいお約束どおりの口上から始まって、たいした理由もないまま殴りあいに突入する。
さすがに7対1というのは多勢に無勢、卑怯だとは思ったが、売られた喧嘩を買わずいられるほどできた人間でもなかった。果たし状だけあってタイマン勝負、なんて妙なところで律儀な連中だが、喧嘩の場数なら大なり小なり俺の方が上だ。なにしろ幼い頃から母親仕込みの喧嘩っぷり。伊達に口よりも手の早いお袋に日常茶飯事どつかれていたわけじゃない。

それでも、4人目を踏み倒した時、周りの空気が変わった。
果たし状を出した手前、奴らにも面子がある。しかもこの数的有利を覆されそうな勢いにいつまでも気圧されているわけにもいかない。形振りなど構っている余裕はもはや誰にもなかった。

ヒュンッ

空を切る音が耳に飛び込む。寸前で何とかナイフの切っ先を避けた。前髪がいくらか散った気がするが、気を回す暇などない。低い姿勢で五分狩り頭がジリジリと詰め寄ってきた。下手な脱色をした短髪に剃られた溝がまるで金色のスイカのようで俺は思わず鼻で笑う。それにムカついたのかナイフを無作為に振り回しながら飛び掛ってきた。

「つッ」

冷たい何かが頬を掠る。と同時に鋭く走るような痛みが熱を伴う。手の甲で拭えば赤く染まった。右左と目の高さで振り回されたナイフをかわしたつもりが中途半端だったらしい。内心舌打ちしてスイカ頭を見据える。

ヤバイ、という雰囲気を感じ取ったのは次の瞬間。
背中で感じた寒気に半身を引いて振り返る。鈍い音と共に横殴りの一撃が俺の側頭部を襲った。堪らずよろめいて膝をつく。見上げれば、別の奴が金属バットを握り締めて興奮した様で見ていた。形振り構っていられないのはお互いさまか。

無意識だったとはいえ腕を上げたおかげで頭を直接叩かれることはなかったが、耳鳴りが止まらない。脳みそが横揺れしているような奇妙な感覚。焦点がぶれる。吐き気がする。
脈打つ音が耳元で聞こえ、振り払うように頭を振ったら景色が歪んだ。




「マコト」

不意に名を呼ばれて自然と目だけそっちに向けた。

一目でわかる整った涼しげな顔。そこにはまるで学校帰りにフラリと立ち寄ったように、タカシがいた。
目が合うと珍しくタカシは怪訝な顔をして歩いてくる。俺の顔を見て眉を寄せた。相変わらず感情を感じさせない冷えた声音。

「これは俺に売られた喧嘩じゃなかったか?」

まるで氷が張ったような空気がタカシを包んでいる。さっきまで俺と喧嘩を繰り広げていた連中は呆気に取られたような顔で眺めているだけだった。

「だったかな?」

「そうだろう?」

どちらも尋ね合い二人して肩を竦める。いつのまにか口端に笑みが浮かんでいたのに気付く。

気付けばなぜかお互いがお互いそこにいるのがあたり前。振り返れば必ずそこにいるし、意識せずとも目が合う。気が合う、というのよりもう少し近い存在になっていた。

タカシは残った奴らを端から見渡した。

「続きだ」

あいつの声音はより一層冷え込んで、キンキンに凍った冷凍庫のようだ。熱中すればするほど冷えていく喧嘩の帝王。連中は強張った顔で見た。喧嘩を売る相手を間違えるとどういうことになるか、察するに余りある。

意識することなく自然と背合わせになる。だが、かすかに耳元でタカシの声がして俺は横目であいつをみた。口元にほんの僅かだが笑みが覗いていたような気がして思わず目を瞬かせる。

――― 任せとけ。

確かにタカシはそう言った。聞き違いかと自分の耳を疑うほど小さな声で。

俺はもう一度タカシを見て、何も言わずに頷いた。







その後の喧嘩がどうなったか、なんて聞くまでもないだろう?

もちろん、タカシの一人勝ちだ。あんな奴らの相手になるはずがない。
だが、いつもならあんな奴ら軽く伸して終りなはずが、今日はやけに念入りだった。アイツにも腹の立つことがあるのかと、少しばかり驚いた。

「それ」

「あ?」

「少し深いな」

帰り道、ふらふらしながら2人して歩いていると、タカシが俺の頬の傷を指差しながら言った。相手がナイフだったのもあるが、その前に頭に食らった一撃が効いているのか少しばかりクラクラしている。これ以上頭がアホになったらどうしてくれるんだろうか。

そういえば、あの時タカシは確かに妙だった。いつものクールでドライな王様なんかじゃなかったな。

だって、あの後……。



「まぁ、舐めときゃ治るだろ」

手で触ると固まった地が張り付いている。少しくらいは跡になるかもしれないが、たいした傷ではない。

「そうか」

「そうだ……って、うわっ」

不意に頬に生暖かい感触がして、俺は慌てて飛び退いた。

「驚くことか?」

「お、お前……な、なにしてんだよ」

タカシは顔色一つ変えないまま俺の頬にできた傷口を舐めたんだ。
日頃、冗談とかギャグとか間違っても言わないし、やらない奴が、この日ばかりは違った。クールな言動は相変わらずだが、やけに絡んでくる気がする。それほど俺が勝手に喧嘩したのが気に入らないのか?いや、今までだってそんなこと多々あったはずだ。


唖然とする俺を尻目にタカシはほんのわずかに口端を吊り上げて、



「舐めれば治るといったのは、お前だろうが」


のうのうとそんな台詞を吐いたのだから。















呟き:でっちあげ、学生時代の2人。何も言いませんがタカシはマコトのこと気に入ってますから。