安心の温度





同じ空間に一緒にいるだけで、なぜか安堵感を覚える。
それを自覚したのは、つい最近のこと。高校を卒業した後のこと。

いなくなって初めて気付いたなんて、正直笑うしかないだろう。



池袋にGボーイズが出来たばかりの頃。
無法地帯のように多くのチームが縄張りを持っていた。一般人にはわからないグレーゾーンの領域には日夜水面下での攻防が続き、勢力図は拡大と縮小を繰り返している。
血の気の多いガキたちを黒い大人はアゴで使い、もてはやしておだてればすぐさま特攻用に仕上がる。それを焚きつけてはどこかで火花を上げさせた。

安藤崇がいつから「キング」と呼ばれるようになったのかは、定かではない。だが、めっぽう強い上に頭が切れるガキがいる、という話はすぐさま伝わっていった。

この日もブクロではガキの喧嘩からその辺りをシマにする組関係までがでてくるようないざこざになっていた。喧嘩の理由は、ガキもオトナも同じようなもので、鼻で笑い飛ばせるような些細なモノ。だが、それを口実にして縄張りを広げようとする連中は、頭に血の気ばかりを浮かべて喰いかからんばかりの猟犬並に周囲を罵倒した。
一般人は蜘蛛の子を散らすように逃げていき、鼻息の荒い連中はガキ共々西口公園のまん前で声を荒げていた。

行き交う車の群れの中から一台が西口公園に横付ける。暗色の外観にスモークガラスのただの車だ。だが、その場にいた誰もがこの雑踏の中、開いたドアから地面に足を着く、その音をはっきりと聞いた。
ひやりと気温の下がる不慣れな感覚に吠え狂っていた狂犬が動きを止める。思考ではなく、本能が危険を知らせる。

「キ、キングっ!!」

声をあげたのは偶然西口公園にいたGボーイズかどこかのチームだろう。周囲にはっきりと緊張が走る。肌で感じるほどの冷えた空気が場を飲み込む。
声を聞いて、ギョッとしたのは狂犬だった。噂には聞いている。ガキたちの間に「王様」と呼ばれる切れるガキが現れたことは。だが、実際に眼で見るのは初めてなのだろう。唸り声を上げながらも、先ほどまでの威勢はない。頭ではなく本能で活動している彼らには、その本能が告げる警告音を無視することはできない。何より、冷えた目が射抜く感覚を彼らは初めて味わうことになる。

一言も言葉を発せずとも、キングの存在感はこの場すべてを支配した。靴音が狂犬の手前3メートルで止まり、視線が標的を定めたかのように射抜く。見る者すべての動きが、その動作一つで止まった。
それを見定めてから、ゆっくりとキングの口元が凶悪なほどの笑みに歪む。何かの合図のように狂犬が拳を振り上げて無防備に殴りかかった。


響いたのは鈍い音。ざわついていた野次馬が一瞬にして無音となる。ややあって、ストンと狂犬の両膝から力が抜け、まるで正座するように崩れ落ちた。
キングが振り上げる拳すら見えない。そんなスピードで、狂犬のアゴを捕えたのだと誰が気付いただろうか。

周りの目がキングを畏怖として見詰める。奇妙に尊敬と恐怖が入り混じる視線を無表情のままキングは受けていた。桁外れの強さを持ち、チームを率いるヘッド。それがGボーイズの「王様」と呼ばれる由縁だったからだ。端正な容姿とそれに相応しい強さ、そして頭の回転の速さのすべてを兼ね揃える。紛れもないブクロの「王様」の誕生にガキたちは高揚した。


「キングーっ!!、キングーっ!!!」

歓喜の声が波のように湧き上がり、一種の興奮に包まれる。ガキたちの顔には一様に憧れが浮かんでいた。
感情の色、一つを示すでもなく、キングは辺りを見回す。力の誇示を見せることが、ガキたちの意識をひきつけることだとわかっている。まだ複数のチームが乱雑に存在するこの領域では当然のことだ。すでにキングの名は轟いている。
形なりの確認を終え、踵を返しかけたキングが群集に押し出されるように転がり出た者を見て、このとき初めて表情を変える。興奮しているガキたちに巻き込まれたのか訝しげに顔を顰めていたが、キングとついと目が会うと彼は見開いた。

「あれ?………タカシ?」

間の抜けた声だとキングは思った。いや、キングではなく、タカシは感じた。巻き込まれたのは、マコトだった。この辺が彼の生活範囲だとよく知っていたけれど、この騒ぎに巻き込まれているとは思わなかった。

「マコト、か」

卒業してから会っていなかったが、何も変わっていない、高校の時と何ら変わらないその声に、先ほどまでの威圧感が削がれる。

「キング?……って、お前のことかよ」

呆れたように顔をみせるマコトをタカシは本当に久しぶりに見る。この付近では早々と名を知られるようになったはずだが、マコトの耳には届いていなかったらしい。少しも変わらず臆せずなのは、マコトらしい。
半ば無意識のうちにタカシは手を差し出していた。まだ興奮冷め遣らぬガキたちは意味不明に叫んでいる。誰かが通報したのか、遠くでサイレンの音がする。そろそろ退く時間のはずなのだが、キングは動かない。横付けした車からGボーイズのメンバーが不審げに顔を出した。
差し出された手をマコトはすんなり掴む。引き上げると見慣れた位置にマコトがいた。触れた手は懐かしさの感じる温かさを持ち、どこか内心でホッとする。安心感を覚える心地よさを手放したくない衝動に駆られたが、車の方から名を呼ぶ声が聴こえた。


「またな、マコト」

名残惜しいが時間はない。
何かを言いかけたマコトの耳元でそれだけを囁いて、タカシは踵を返した。そこにはもうキングの仮面が張り付いていた。




タカマコのつもり。卒業後、初顔合わせな感じで。