| それは夜明けに似ていた |
物心付いた時から、俺の周りには闇があった。いや、正確には闇に包まれていたといった方がいいのかもしれない。 フワフワとした現実とも夢ともつかぬ感覚がいつも俺の周りにはあって、取り囲まれたその闇の外を見るのは、ちょうど雨の打ち付けるガラスの向こうを見るような不確かな存在でしかなかった。 夢見心地のまま時間だけがすぎ、気づけば周りにはその闇に取り込まれたような連中が集まるようになっていた。 この頃にはケンカに開ける暮れる俺に普通の者は誰も近づこうとは思わず、もともと縁の薄い両親の顔を思い出すのも時間を要したほど、現実というものから離れていたような気がする。 取り囲む闇は、いつもそこにあって俺を取り囲み、だからといって触れるわけでも離れるわけでもなく、ただただそこに存在していた。 薄い暗色のカーテンのように風に揺れて揺れることはあっても、決して消えうせてはくれない。 鬱陶しさに苛立たしく跳ねのけようと躍起になったこともあったが、風のように揺れては闇は俺から離れようとはしなかった。 高く上った陽光に焼きつくされそうな真夏の空の下でも、俺にはどこか遠い話のように思えて、ふわふわとしたトランポリンの上を歩くような日々はいつまでか、果てを見せぬままに続いた。 この闇が消えることはないと思っていた。 あの時までは…… 出会ったのは、高校の時。夢見心地のまま日々を過ごし、ケンカに明け暮れても満たされるものなどなかった。 学校に来ても大抵は屋上の給水塔のそば、日当たりのよい隅で寝転がって空を見ていた。空も青くなどない。薄く雲のかかった暗い空。俺の中ではそれが空の色だ。 ある時、俺がいつも寝ている日当たりのいい場所に先客がいた。 熟睡しているのか、近づいても起きる気配はない。それでもなぜか別の場所で寝ようとは思えず、俺はその男から少し離れたところで目を閉じた。 目を閉じたら闇が深くなる。 闇に包まれて、闇の世界に取り残される。 それが好きでも嫌いでもなくなっていた。 「……い、風邪、引くぞ?」 声とともに頭を小突かれて俺は慌てて眼を開けた。 先ほどまで俺の場所で寝ていた男が覗きこんでいる。逆光でその男の表情は上手くつかめないが、俺は眼を開けて回りを見た。 夕暮れが迫っている。いつのまにか眠り込んでいたようだ。 「よく寝てるから、邪魔するのは悪いと思ったんだけどな」 男はそういって笑ったようだった。 他人がそばにいてここまで熟睡しかことはなかったから、俺自身、内心驚いたが、それはどうやら表情には表れなかったらしい。もともと表現能力は皆無に近いのが俺だ。 「少しにぎやかになるから、降りてくるなよ?」 何がだ?…と口を開く前に、給水塔の真下の屋上のドアが荒々しく開いた。男は軽く笑って給水塔から飛び降りるとドアの方へ歩いて行く。荒々しく開け放たれたドアを上から見下ろせば、向こうからはセンパイと名のつく固まりが6人、立っていた。 「まー、じま。…こんなところにいやがったか!!!!」 妙なアクセントで茶化されてマジマと呼ばれた男は、肩をすくめる。どうやらセンパイ辺りから目をつけられた後輩ということになるのだが、そういえば目にした詰襟の学年証は1。同級生だ。 「逃げたのかと思ったぜ」 「冗談は苦手だ」 「その態度が気にいらねぇんだ」 正直に言ったところでこの分類の輩が考えているところは知れている。マジマの何が気に入らないのかはわからないが、どこかで反感を買ったのだろう。考えるだけ無駄だ。 手を貸すつもりもなかったが、もちろんその心配は杞憂だった。 その男は、風のような男だった。 突風が吹いたような感覚。 ――― 気づけば俺の前に広がる闇が……拭い取られていた。 人数の差というものをここまで無視した戦いというものがあるとは思わなかった。 マジマと呼ばれた男は、センパイという存在たちをあっという間にコンクリートへと沈めた。 俺の闇を打ち払うような気まぐれな風が屋上を吹き抜ける。 不意に目が合った。 まっすぐで揺らぎのない瞳が俺を見上げていた。 マジマはガシガシと頭を搔いて溜息をつく。どうやらなぜだが罰が悪いらしい。 なんとなく察しがついて、俺は内心笑っていた。 「………強いな、お前」 言葉を探してみたが、今はなにも思い浮かばない。つぶやいた声は、いつも以上に無機質に響いた。 「そうか?」 マジマは戸惑ったように首を傾げる。自覚はないらしい。 風が、冷たいと思った。 「マジマ・・・」 「おい、見てみろよ」 何を言いたかったわけでもないが、口を開きかけた俺をマジマは空を指さして叫んだ。 つられて見上げた視線の先には、赤い夕焼けが広がっている。恐ろしいほど赤い光が大地に飲み込まれようとしている。 ――― 否 「……夜明け」 沈む太陽が俺にはこれから上ろうとする光に見えた。 深く包み込もうとする闇があたりを侵食しているのに、なぜだろうか。 「夜明けか…確かに似てるかもな」 声はどこか真剣な響きが含まれていた。 俺はマジマの方を見たが、沈む陽光にその表情を読み取ることはできなかった。 マジマは黙って太陽が沈むのを眺めていたが、やがて何を言うわけでもなく、 静かに屋上から去っていった。 風が冷たかった。 「……マジマ、か」 面白いな、と正直腹の底からわき上がる不可思議な感情があった。 俺には今まで経験したことのない感覚で、少しばかり不可解だが、嫌いではない。そう思えた。 給水塔から立ち上がると、辺りは闇に包まれていた。 だが、いつもの闇とは違う。眼下には空と同じく光があふれていた。今まで俺わ取り巻いていた闇は、いつのまにか風がどこかへ運んでしまったのだろうか。 「……面白いな」 呟いた声が自分でも楽しげに聞こえた。 マジマは、風を連れていた。 呟き:まとまりがありません。 |