聞こえますか?









『マルタイ、到着』

インカムの中で響く無機質な声に井上は視線を出入り口へと向けた。5階までの吹き抜けのエントランス。四方は硝子張りで日差しを取り入れ、華やかな輝きに陽光をたたえている。その中で、一層眉間に皺を刻みながら周囲へと警戒の念を強めていく。それぞれに配置箇所に目を向ければ、同じく険しい顔つきで見ている仲間の姿がある。
一般の何も知らない人々が賑やかに、そして幸せそうな顔でそこここ歩いている様に私情を求める状況ではない。一日の業務が無事に終わるかどうかなど誰にもわからない。それがSPという職務でもあった。

周囲に意識を広げていくと感覚の端々で触れる人々の声や態度、匂いや息遣い、そして冷たく鋭利に突き刺さる悪意の念。井上の感性を突き刺すような痛みを伴う刃となって刺激する気配を更に眉間へ皺を深く刻みこんで、わずかに目を閉じる。慣れた痛み。それでも閉じずにはいられない痛み。広げた意識からそれを遮断するように再度目を開き、そして感じた方向へと目を向ける。
手にはインカム。そっと乾いた唇を開き、発する声は無機質で。

『…井上です。…動きます』

開いた口から自然と零れる言葉、同僚の石田、笹本、山本と視線を流して意図を伝えながら、最後に追った目線は係長、尾形の元へ。何気なくいつもの突拍子もない井上の行動に尾形は迷うことなく頷いて見せる。井上は小さく神戸を垂れてから、足音も立てずにその場から動きだした。








「相変わらずお前って変なやつだよな」

「変ってなんだよ、変って」

「変だから、変なんだよ」

撤収して四係に戻って来て、必ず行われる会話の一環になっていたのが山本と井上の会話だった。緊張する業務が終えたばかりで身体は疲労していても精神的に高揚感が続く場合もあり、山本の場合は彼の性分上顕著でもある。まさにその正反対なのが井上なのだが、同期ということもあるのか一見すると喧嘩するほどなんとやら、と言える。

「どっちもどっちだろう、どんぐりの背比べ」

「どんぐりってなんですか、俺はそこまで丸くないッス」

「…バーカ、物のたとえだろうが。つうか、お前の腹の肉、少しはどうにかしろよ、山本」

言いながら笹本が二人を交互に見下ろし、鼻で笑って自席に腰を下ろした。彼女の剛毅な性格には、誰も逆らえないのが実情なのだが、山本はついついといった感でとばっちりをくらいに行く。ハハハッと声を出して笑った井上の頭を笹本は手早く叩いた。

「いてっ」

「お前もお前だ、井上。…毎回、ムチャばかりしてんじゃないよ」

「ムチャって…、そういうつもりは…」

「無い、とは言えないだろうがな…」

笹本の攻撃的な視線が井上に頭上で行き来しているのを装備をはずして自室に戻ってきた石田が少し呆れた口調でやんわりと諌めた。
井上の左手に巻かれた真新しい包帯。本人は大袈裟だとはずしたがったたが、出血が収まるまでは、と上司命令で巻かせている。先ほどのマルタイ警固中に暴漢からナイフをもぎ取った時のものだ。

「……、…すいません」

「謝って欲しいわけじゃない。それは井上もわかってるだろ?」

促されて井上は小さく頷いた。

「今日だって、暴漢と素手でナイフの取り合い…」

「あのタイミングだと、警棒抜く間がなかったんスよ」

「わかる……けど、わからない」

「笹本さん、何言ってんスか」

「黙れ、山本」

ププっと笑ってしまった山本に容赦なく目を細めた笹本が左拳を相手の腹に突っ込んだ。彼女にしてみれば寸止めだろうが、瞬発力があるだけに衝撃で山本は呻く。

「ま、お前一人で動いてるわけじゃない。少しは俺たちにも手助けさせてくれ…ということだよ、井上」

笹本と山本のやり取りに目を向けていた井上の頭をポンポンと幼子をあやす様に撫で、石田は他にも何か言いたげな雰囲気をその面持ちに残しながらも自席へ着いた。笹本の盛大なため息と一緒に「わかったか?」と言いたげな睨み、そしてとばっちりを食らった山本の逆恨みを視線で受け止め、井上はペコリと首を垂れる。
石田の言いたいことはわかる。だが、マルタイに直接被害が出る前のあの状況では、わかるのは自分しかいないのだと井上は思った。
何かが起こる瞬間の直感というよりも本能に近いそれを他者に説明することはできないし、その言葉も自分は知らない。
だが、起きることは事実であり、確定だった。なぜわかるのかと言われてもそれもまた返答に困るのだけれども。
他者を著しく傷つけ、殺意を持ってこの場にいるその相手を、己が止められる術は、これしかない。最良だと思えるのは他に浮かばない。

自問自答しながら机に両肘をつき、考えれば考えるほど傷むのは負傷した左手よりもこめかみから頭の奥深くで、一過性の痛みをただ過ぎさることを待つように目を閉じてやりすごす。
SPになってから痛みの回数は増しているのだが、それをどうすべきか、答えは出ていない。

「井上?大丈夫か」

静かな声で肩を叩かれるまで井上は気付かずにいた。かけられた声とその距離、そして肩をたたく感触に飛び跳ねんばかりの勢いで顔を上げる。こんなに近くにまで人の気配に気付かなかったのは久しい。

「だ、大丈夫です。……すいません、係長」

顔をあげて初めて声の主が遅れて戻ってきた尾形であることに井上は気付いた。それを表に出すほど表情豊ではない井上だが、声をかけた主には気づかれているだろう予感はある。
しかし、尾形はそれ以上何も尋ねず、「いや」と肯定とも否定ともとれる返事を零して、自席へと歩いていく。入ってきただろうドアが今更音を立てて閉まったのを井上は聞いた。

「係長、どうでしたか?」

「まぁ、詳細は公安の仕事だろう。単なる暴漢程度で終わるのか…俺たちに結末はわからないが、ここ最近始末書ばかりだったからな。功労賞くらいはという話程度には盛り上がりそうだな」

「金一封でもでるんっスか」

あくまでも部署内での話だが、と付け加えて尾形は穏やかに笑った。功労賞の響きで椅子にもたれていた山本がその体格からは想いも寄せないほどの敏捷さをもって回転し、係長席へと身を乗り出す。

「さすがに業務で金一封は出ないだろう…つうか、金にがめつい男は無様だぞ」

「がめついわけじゃ…、笹本さんじゃあるまいし」

「なんだと?」

口が滑ったと言いたげに己の口を押さえる山本に殺気すら感じさせる険呑さを持って詰め寄った笹本を半ば慌てて石田が止めようと手を上げる。尾形の手前、声を荒げることもなく、いつもの冷静さをもったまま「まあまあ」と笹本を宥める。
彼女の突発的な判断力と行動力は勤務時もさることながら時と場所を選ばない。山本のおっとりな性分とは衝突するのが当たり前だといえた。

「金一封は期待できないが、これから飯でも行くか」

「いいッスねぇ」

助け舟を出した尾形に笑顔で山本は答え、石田は小さく笑ってから笹本を観る。

「良いですね。…何食べに行きますか?」

「揚げ物は却下」

「そんな女の子じゃないんだから…」

笹本の提案に反射的に再度口を滑らせた山本は、有無を言わせず笹本のひじ打ちを脇にくらって呻き、それを観て尾形と石田は呆れ交じりに笑みを零した。
一拍の安息を感じながらふと向けた視線の先で井上は遠巻きにこちらを観ている。その面持ちはいつもの仲間たちのやりとりに楽しそうな笑みを見せつつも、どこか排他的に縁には加わらず、傍観しているように思え尾形は僅かに表情を曇らせる。
聞こえていないはずはないのに、不自然なほど存在が離れて見える。ジャケット袖の下に見える包帯の巻かれた左手を強く握って、入りたくても入らないようにしているのか。尾形にはわからなかった。

「井上」

あの現場でも、お前を呼んだ。もう何度目になるかわからない。
尾形自身も石田も笹本も山本も、みんなお前の名前を呼んだ。お前と言う存在を呼んでいたんだ。
知らず呼んでいた名前に井上は、今更気付いたように尾形を観た。大きくまっすぐに揺るがない瞳で尾形を捉える。

「…井上、お前も来るだろう?」

「良いっすね」

尾形の面持ちを揺るがない瞳でまっすぐに見つめ、井上は青年らしい柔らかな笑顔をみせた。その表情にどことなくホッとしてしまう己自身に尾形は自嘲する。

――― きこえている。自分の声は、届いている。

そう思えたからだろう。今日の任務でも「動きます」といって現場を離れた井上を自分も含めて止めなかった。尾形が止めないのだから、他の四係メンバーが止めることはないのだが、それでも井上の行動に「何かが起こる」と確信していたのは事実だ。そして、その予測通り事態が起こった。
一人先に行ってしまう井上に、尾形も含めて仲間の声は届いている。それが何故かひどく安堵感をもたらしていた。

「とりあえず、お前。今日はアルコール禁止な?」

「ちょ!…それは無いっスよ」

「怪我人が何言ってる。早く治したいなら、当然だろ」

石田と笹本にダブルパンチを食らいながら井上は唸りつつも拗ねた子どものように頬を膨らませた。尾形は座ったばかりの席から立ち上がり、腕時計に目を向けてからかけて置いたコートを手にする。終業のいつもよりはやや早い時間帯だ。

「ほら、行くぞ」

「「「「はい」」」」

尾形の言葉に皆が頷いた。返事は仕事中でも同じだが、仕事中には見せることのない柔らかな笑顔で、本来の持ち合わせている個々の性分のままの姿を見せる。四係という職務のみの繋がりでは無い不可思議な感覚。それを誰もが悪くないと思っているようで、尾形は届いた声に安堵した。







呟き:初SPです。そしてイメージがつかめてません。ドラマも素敵ですが、漫画も素敵でした。結構楽しい。