電話越しの声を








日々追われる事件の数々に寝ても覚めても指示を出す。それが管理官としての職務だ。それを苦に思ったことはない。次から次に起こる凶悪な事件に捜査本部は振り回され、右に左に目まぐるしい。管理官という職務に有る者とはいえ、自分より上の者から指示がでればそれに対して「No」といえないのがこの仕事だが。
目を覆うような無残な事件にも、心一つ動かされず見据えるようになったのはいつからだろうか。現場を覆う青いシートの中に横たわる被害者へ何の感慨も感じなくなったのは、いつからだったろうか。
ひどく事務的に指示を出し、そのとおりの連絡を本部で待つ。
それが自分の仕事だったと室井は過去形にする自分に気付いた。

携帯電話が短い着信音を告げる。慣れた様子で手早く開き、室井はディスプレイも確認せずに電話に出た。

「はい、室井です……キミは、青島か?」

騒がしいほど行き交う本部の捜査員達の目を憚るように室井は後の声を下げた。湾岸署での事件から幾度となく顔を合わせる機会のあった青島は時折電話をかけてきた。こちらの番号も何かあれば、と伝えておいたのだが、まさかこうして本当に電話をかけてくるとは正直室井を驚かせた。

「悪いがこちらも手が離せない……なに?もう一度言ってくれ」

電話越しの声が酷く聞き取り難く室井は先ほど小さくしたばかりの声を張り上げるように受話器へと告げる。その様子に室井の周りにいた本庁の部下が怪訝な面持ちで室井を見る。そんなことを少しも気にすることなく、室井は離れかけていたデスクへと走るように戻った。

『だから、今そこの事件で、被疑者に、なっている男、を追ってるんですよ』

走っている青島の声は所々擦れる。雑音にも似た音と踏み切りの音が受話器越しに聞こえた。
室井が一人の部下を手で呼ぶ。この本部で追っていた被疑者は捜査員たちが乗り込むより前に姿を消していたのだ。それを朝からずっと追っている。被疑者の顔写真と略歴を示した書類が室井の手元に届いた。

「今どこだ、なぜ君が追っている?」

『非番、だったんですけど、顔写真で見た、男らしいヤツがいて……職質したら逃げたんで、追ってます』

非番に職質か、というツッコミはこの際しなかった。いや、室井は聞かなかったことにした。

「君一人か?」

『そうっすよ。……ちぃ、こいつ早い。……待てよ、こらっ!!』

電話越しに聴こえる青島の声が走る苦しさに荒れる。息が切れてもなお走る音は電話越しに聴こえてくる。

「場所はどこだ、青島」

『えーええー……踏み切り、です』

言った途端に列車の汽笛が青島の声を掻き消した。かなり近い距離で踏み切りをわたったか、それとも遮断機に飛び込んだか、た。ブツリッと電話が切れた。
どよめく本部内は一様に室井へと視線が集まる。

「各員至急所轄に連絡。都内の路線をすべて押さえろ」

卓上を叩きすぐさま指示を出せばそれまで煮詰まっていた連中が一斉に動き出した。本店の部下たちはその様子に唖然としたが、気を取り直すのも早く路線を確認する。その間に室井はかけてあったコートを自らの手で取り、出入口へと向かう。

「か、管理官、どちらへ」

「現場に決まっている」

慌てる部下を一瞥すると室井はそのまま出て行った。取り残された部下たちが慌てて後を追う。半ば無人となった本部は恐ろしいほど静かだった。


階段を下りたところで、再び携帯電話の着信音が鳴る。二回目のコールよりも早く出る。青島だと思った声は、聞きなれぬ緊張した様子の男のものだった。

『げ、現在緊急手配中の被疑者を○○交番にて取り押さえております』

「……状況は?」

『は、はい。湾岸署の青島という警官が只今こちらに被疑者と共に……』

「すぐに捜査員を向かわせろ!」

緊張している声に室井は内心ため息をつきたい気分だったが、室井はすぐに傍にいた部下へ指示を飛ばす。慌ただしさに驚きを隠せぬまま部下たちは飛ぶように交番へと向かった。
サイレンを鳴らしながら走る車が遠ざかると室井は再び本部へ戻ろうと降りてきたばかりの階段を見上げる。本店も所轄もすべての捜査員が現場に向かっていて、そこは驚くほど静かな空間が広がっていた。
室井は一つ息を吸い、ゆっくりと吐き出してから繋がったままの電話に向かって口を開く。

「……彼は?」

『ひどく疲れている様子でしたが、被疑者を受け取ったらすぐに、ここからいなくなりまして…』

申し訳ありません、と言葉が続くのを聞いて室井はため息を吐いた。呆れたわけではなく、あまりにも彼らしいと思ったからだ。
交番の警官に「ご苦労だった」と告げ、室井は電話を切った。そして余韻に浸るように携帯電話をしばらく眺めていたが、やがて本部へと階段を上がっていく。

歩きながら思わず室井の顔に笑みが浮かんでいた。
電話越しの青島の声が未だに耳が離れない。前にあった時と変わらない躊躇うことを知らない声。そして我武者羅な行動。すぐに変わる表情。どれもが室井にとって眩しく思えた。

「まったく、君という男は……」

独りそう呟いて室井は誰もいなくなった本部へと戻っていった。





突然なのが青島くんっぽいの。