戦士の休息
帝都になにやら不穏な動きが広まりつつあるこの頃。 帝国華劇団も二つの忙しさに追われていた。 「大神くん。この間の報告書出してくれた?」 「あ、はい。米田支配人に報告済みです。書類の方は、支配人がお持ちだと思われますが……」 かえでさんにそう告げながら、俺はあまりのいそがしさに気づかれようにため息を吐く。 花組も全員が集合して久しい。彼女たちが今追われているのは、新春の舞台稽古なのだが、彼女たちならきっと成功させてくれるだろう。しかも舞台裏ときたら首都防衛の諜報活動もある。さすがにかえでさんも米田支配人も疲労の色は隠せないようだ。自分ががんばるしかあるまい。 「大神さん、雨が…」 事務処理に追われていた椿がふと窓の外に目をやった。あの青空はいずこへか、すっかり黒い雲に覆われて雨の滴が窓に吹き付けてくる。 「あ、シロが外なんだ。ちょっとすいません!」 天気がいいから中庭で遊ばせようと言い出したのはアイリスだが、彼女は今稽古の真っ最中のはずだ。今シロを室内に入れておかないと冷たい雨に濡れてしまう。 後ろで楓さんの声がしたようだが、風が窓に吹き付けてきてひどく聞き取りにくかった。 ザザザ… 風の音がますます強くなっていく。中庭に来た頃には薄暗く、シロの姿は見あたらなかった。 「おーい、シロ」 呼んでみるが反応がない。雨をしのぐためにどこかに隠れてしまったのかもしれない。 「くそ、とにかく急がないと」 茂みの中に頭をつっこんでみたが、シロの姿は見あたらない。冬場とはいえ、暖かい陽気に油断していたのかもしれない。さすがに雨が降り始めると一気に気温低くなっていった。 ―――その時、 「よお、大神ぃ」 「え?加山………うわっ」 池の縁でシロを探していたら、突然後ろで声がする。慌てて振り返ってそれが加山であることを知った瞬間、踏み込んだ先に地面はなかった。 ドボンッ! 「お、おい、大神」 見事に池に転げ落ち、本当にびしょぬれになってしまった。あわてて加山が手を差し伸べてくれる。池からあがったときには、見ての通りびしょびしょだった。 「助かる、加山」 「大神、何やってんだ。びっくりしたぞ」 びっくりしたのは俺の方なんだけど…と、内心思ったが、シロのことを思い出してあたりを見回した。 「シロって言う犬を探しているんだ。……加山、見なかった?」 「犬?…見たような気がするけど、とりあえず着替えた方がいいと思うが」 「みんなで飼っている犬なんだ、風邪でも引かせちゃあかわいそうだし……もう少し探してみる」 とにかく急がないと、ずいぶん冷え込んできたし。 そして、探すこと十分あまり。建物のそばでシロがうずくまっていた。どうやら、かなり寒かったらしい。 「よしよし、良かった。見つかって」 「大神、中に入ろうか」 加山も雨の中つきあってくれていた。濡れた手でネクタイを緩めながら促す。 「大神さん、どうしたんですか?」 稽古が終わったらしい。桜くんが出迎えてくれた。彼女のそばにはアイリスの姿もある。俺が連れ帰ったシロを見てアイリスは笑った。 「お兄ちゃんがシロを探してくれたの?ありがとう」 「このお兄さんも手伝ってくれたんだ」 俺は、そういって加山を指した。加山は何かを言いかけたが、彼女たちに何かと声をかけていた。 「ありがとうございます」 「い、いや。それよりも着替えさせてもらっていいかなあ」 加山も少しばかり照れているのがわかる。彼でもこんな事があるのかと、俺は笑った。 「今お風呂はカンナさんたちが入っているみたいなんです」 「俺はいいから、ゆっくり入ってもらっててよ」 「おい、大神……」 桜くんが申し訳なさそうにそう言ったのを俺は笑ってそう告げていた。加山は何か言いたげに俺を見たが、それは目で訴えただけだった。彼女たちは今日も厳しい練習をしていたはずだ。それを思うと無意識のうちに言葉が出ていた。 俺はとりあえず部屋で着替えることにして、加山を案内する。 「さっきは助かったよ、加山。シロがなかなかみつからなくって…」 「ああ、それは構わないが…。大丈夫か?」 タオルで髪を拭いている加山が怪訝な表情で俺を見た。俺は、部屋までやってきたが、なにしろ池に落ちているから風呂に入らないといけない。俺のシャツを加山に貸してボーとしていたのだ。 「……何が?」 「疲れてるみたいじゃないか、大神」 「もうすぐ公演が始まるからな。ちょっと忙しいけど自分だけじゃないから…」 疲労困憊なのは、自分だけではない。長官や副司令が忙しいことを思えば、この程度のことは平気……のはずだった。 結局、風呂にはいるまで小1時間ばかり。そして、その晩もいつものように夜の見回りの時間がやってくる。 「……やっぱり風邪でもひいた。早く終わらせて寝よう」 「おにいちゃん。アイリスのリボン見なかった?」 ちょうどサロンを見回っていたら、アイリスが半分泣きながら歩いていた。びっくりしていると彼女はお気に入りのリボンがなくなってしまったとそう言った。 「俺が探しておくから、アイリスはもうお休み。また、明日も大変だろ?」 「ほんと?おにいちゃんが見つけてくれるのね」 彼女の顔に、ぱっと輝きが戻る。きっと困り果てていたのだろう。俺は大きく頷いて、彼女を部屋まで送っていった。 さて、リボンを探しながら見回りを続ける。首筋を風が吹き抜けて、思わず身震いする。 「ここにもないなぁ。う〜ん、どこにあるんだろ。………っくしゅん」 外ではまだ雨が降っている。一階のロビーにまで降りてきた。たぶん、稽古場なんかにあるんじゃないだろうか。 食堂、中庭、それから…。 「―――!」 ガツッ!! やばい…と思ったときには遅かった。肩から舞台そばの壁にぶつかって思わず顔をしかめる。思っていた以上に頭がぼーっとする。 (まずい、くらくらする。……だが) 「大神っ!」 壁にもたれて荒い息をしていた俺の肩を掴んだのは、加山だった。体がだるく顔を上げることすら億劫になっていたが、それぐらいは確認できた。だが、彼がなぜこんなところにいるのか、そこまで判断する余裕はもはやかけらも残っていない。 「……加山?」 「やばいとは思っていたんだ。それでもお前のことだから、夜回りしているんじゃないかと思ってな」 いつものチャラチャラした表情ではなく、海軍士官学校時代に席を並べたときのまじめな顔つきだった。 「………だ、大丈夫だ」 「大丈夫なわけないだろう。そんな顔で……」 肩を借りてようやく立ち上がることができた。まるで自分の体ではないようなそんな重さだ。 「……アイリスのリボンを見つけないといけないんだ」 「お前………。わかった、俺が必ず見つけておくからお前はもう休め」 加山の声が頭に響く。俺は何かを伝えようとしたが、視界は一気に暗くなっていった。 「―――!?」 ふっと目を覚ましたときには部屋にいた。体は相変わらずだるかったが、倒れたときほどではなかった。 「……あれからどれぐらい経ったんだ?」 ゆっくりと体を起こし、暗い部屋を見回してみる。するとベットの側の椅子に腰掛けている加山の姿がそこにはあった。 「……気が付いたか、大神ぃ」 彼はそう言ってにこやかに笑った。俺は半身を起こし、加山を見上げる。 「………俺は…一体?」 「相変わらずまじめな奴だよ、お前は。周りの心配も大切なことだが、自分の事も大切にしないとな」 額に置かれたタオルに俺は状況を察する。熱を出して倒れた俺をここまで運んできてくれたのだろう。しかもその様子だと今までつきっきりでいてくれたようだ。 「……すまない、加山。迷惑を……」 「まあ、気にするな。……それよりも少々無理をしすぎるんじゃないのか?」 彼らしくない真面目な顔つきに俺は言葉なくうな垂れた。確かに少しばかり不用意だったかもしれない。重要な劇が控えているというのに、体調を崩してしまうなど…。 「………駄目だな、こんなことじゃあ隊長として失格だ」 「ちがう!」 「加山?」 らしくない彼の姿に俺は目を瞬かせる。加山はそんな俺を見て、わずかに苦笑をうかべた。 「………すまん。だが、大神。お前はもう少し自分を大切にした方がいい。周りの人間を大切に思うことは大事だが、自分のことにはとんと無頓着だ」 「………加山?」 「海軍士官学校にいた時から思っていた。……オマエは、やさしすぎる。そこがお前の長所であり、いうなれば短所だ」 面と向かって言わなくても、本当はわかっているはずだ。あえてそれを口にするところをみると、よほど気にかかっているらしい。 「…………確かに、加山の言うことはわかる。だが」 「心配する、オレの身にもなってみろっ!!」 いらだたしく、半ば怒鳴りつけるようにそう言い放ち、加山はオレの右手首を無造作にとらえた。 「―――!」 「……この手が振り解けるのか?大神」 必死に振り解こうとしたが、加山の腕はびくともしない。沈黙がしばらく続いた後、不意に加山は手を放した。肩で息をする俺を相変わらず無言を保ったまま見ていた加山はあきれ顔を浮かべため息を吐いた。 「…………まったく。お前は相変わらずだよ、大神」 観念した…といった様子で加山はベッドの傍に腰を下ろす。 「…………すまん、加山」 わざわざ加山が言いたくないことを口にしているのは、助言をしてくれているのだ。それがわからないほど付き合いは短くない。 それは俺にも十二分に理解できる。それでも、素直に頷いてしまえないのは親友という部分ではなく、花組の隊長としての部分で、だと俺は思う。 「わかっているさ……おまえの言いたいことは」 苦笑を浮かべつつ、加山は口を開く。 「……すまん」 「いいってことさ。……お前が頑固だってことは士官学校の時に嫌って程知っている」 うな垂れた俺の頭を小さく叩き、加山はにんまりと笑った。そして、ベッドから立ち上がる。 「夜明けまでまだ時間がある。しっかり寝て風邪を治せよ、大神。俺は小さな淑女の大切なリボンを探してくるからな」 「………ああ、わかった」 今はそれが最優先だといいきかせる親友の言葉に俺は素直に頷く。 「よしっ、それでこそ俺の親友だ。アディオス、大神。またあおう!」 とうっ……とばかりに窓から飛び立つ親友の姿を見送って、オレは思わず首を傾げる。 「……なんであいつは毎回窓から出入りするんだ?」 と。 ベッドに入り、そんなことを考えていたがやがて訪れた心地よい眠気に目を閉じる。あいつにまかせて良いのだと……そう思えるだけでゆっくりと身体を休められるような気がしていた。 小さな寝息を立てている親友の寝顔を確認して本当に加山はその場を離れた。 「……ったく、本当に世話がやける奴だなぁ、大神」 言葉ほど口調を荒げているわけでもない。その表情は穏やかで満足してすらいるようだ。 「……今は、ゆっくり休めよ、大神。時には身体を休めることも必要だぞ」 誰に告げるわけでもなく、呟く様に口を開き、加山は劇場内に姿を消していった。 後にはただ、静かに眠る戦士の姿があるだけだった。
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