将軍家光忍び旅



 風 雲








江戸から京への旅道中、天下丸一座の用心棒をしながら庶民の暮らしぶりに触れ、生き生きとした面持ちをみせる家光。その道中を冷や冷やしながら同行する柳生十兵衛。一心太助らとともにようやく次の宿場へとたどり着いた。
夜になり、今夜は明日から公演する村の長の離れに宿を借りることとなった。旅先で野宿することも多かった十兵衛には屋根があるだけでも十分な宿だが、家光にとって庶民の家に泊まることは初めての経験となる。まるで子どものような興奮ぶりを見せ、十兵衛を驚かせた。太助の働きでとりあえず別室を確保したが、高揚する気分を止めることは出来ない様子で室内を見て回っている。

「世の中というのは広いな、十兵衛」

一通り堪能したのか、畳の上に胡座をかき、家光は今日見た出来事の一つ一つを思い出している。十兵衛はその脇に腰を下ろし、僅かに頭を垂れた。

「はい。江戸もずいぶんと広いものですが、京までの道のりもまた長いものでございます」

「楽しい。……じつに楽しい」

「徳山殿、そのようにはしゃがれますと、のちのちお疲れが出ますぞ」

「そう言うな、十兵衛。お主は楽しくないのか?」

逆に問われて十兵衛は一瞬閉口した。いかにも何か悪戯事を企んでいる子どものように嬉々としている。こういう表情を見せる時は、心しておかねば後でどんな無茶をされるかわかったものではない。

「……確かに旅にはさまざまな出来事がございます。しかし、庶民の暮らしぶりは決して平穏とは申しませぬ。喧嘩騒ぎは珍しいことではございません」

「……喧嘩は江戸の華といったか」

天下丸一座に加わったその日に座長が巻き込まれた喧嘩騒ぎへ自ら飛び込んでしまったのは、ほかでもない家光だ。十兵衛もさすがに唖然とするしかなかった。

「上様、先刻のような庶民の喧嘩に御自ら飛び込むような真似をなされては……。万が一、何事かあれば天下の一大事となりましょう」

「しかし、十兵衛。捨て置けまい」

正直な気持ちがそのまま口に上る。家光がちいさくはにかんだ。

「お気持ちはわかりますが、恐れながら将軍職のご身分であらせられまする」

「わかっておる。……それでも俺には目の前で困っている者を見過ごすことはできぬよ」

さらりと口をついてでるところが家光の性分か。天下人としてその優しさが果たして良いのか悪いのか判断しかねる部分ではある。だが、民のためにこそあるべきとははっきりと悟っている。あえて口を挟むべきかと十兵衛は躊躇したが、これからの道中を思えば念を押しておくに越したことはない。

「そのご気性お変わりありませぬな、上様。……しかし、その御身はもはや貴方様のものだけではございませぬ。この国、三千万の民のためにこそ尽くすべき御身にあらせられる」

臣下として主君に願うべきことは一つ。この国の平和と安定である。十兵衛の真摯な表情に家光は頷いた。

「十兵衛……肝に銘じておこう」

「恐れ入ります」

ふいに真剣な面持ちから家光は悪戯めいた笑みへと変わる。その面持ちに思わず十兵衛は眉を寄せた。

「されど、十兵衛。お主がいる以上、万が一にもそのようなことはおこるまいよ」

「上様……」

信頼されていることは嬉しいことだが、どうも嫌な予感を感じるのは気のせいか。

「さて、堅苦しい話はそこまでにして、久々に酒を酌み交わさぬか?」

「私めとでございますか?」

「他に誰がおる。昔話に花を咲かせようぞ」

「はっ」

再会を祝して、久々に酒を酌み交わす二人の姿は、主君と家臣ではなく、同門の同志のように見えた。








「そなたが父、宗矩には、剣だけでなく、多くのことを学んだものだ。だれもが、俺のことを時期将軍としてしか見なかった。……あの頃も、そなたとそなたの父は違った。徳川家康の孫ではなく、同じ剣客として厳しく、そして温かく指南してくれた。それが何よりも嬉しかった」

柳生但馬守宗矩は、関が原の戦いをも経験した武者であり、家光の祖父、家康はもちろん、父、秀忠、三代将軍となった家光にも仕えている大名家。将軍家指南役として勤め上げ、のちに十兵衛へと相続。その柳生新陰流は将軍家だけが学ぶお留め技とされ、一般への伝授が禁止されていた。
十兵衛の隻眼が物語るように剣においては妥協のない厳しい人物ではあったが、常日頃は温和で懐の大きな人柄が部下からも民からも好かれている。剛の剣を扱う十兵衛と柔の剣を扱う家光。その才覚を見抜いたのも彼であった。

「……上様」

杯を運ぶ手を止め、十兵衛は酒でやや饒舌になっている家光を見た。年相応の若者の顔がそこにある。国を担う重圧に耐え、必死に道を探しながらも顔には何一つ苦悩を見せない家光の姿に十兵衛の決意は新たに引き締まる。守らなければならない。この国の為に、この若者の為に。

「確かに俺はこの国の行き先を担っている。だがな、俺とてただの人。過ちもあろうな。その折にはどんな書物よりも、そなたらから学んだことの方が何よりも心強い」

「恐れながらこの十兵衛。諸国を巡りながらも、上様のことを忘れたことはございませぬ」

「はははっ……それは嬉しいことを。のう、十兵衛。諸国での土産話、聞かせてくれまいか?」

にこやかに微笑み、家光は酒をぐいっと飲み干す。すぐに酌をしようと徳利に手を伸ばした十兵衛を家光は逆手にとり、彼の杯に徳利を傾ける。将軍に酌をさせるとは……とわずかに身を固めた友の姿に家光は首を横へ振り、酒を注いだ。両手で受けた酒を十兵衛は一度見詰め、わずかに頭を垂れてから一気に飲み干した。喉を流れる酒の味はまた懐かしさと嬉しさに一味も二味も違うことだろう。

「某の話などでよろしければいくらでも……と申し上げたいところですが、明日も早出にございます。そろそろお休みになられたほうがよろしいか、と」

「そう……だな。では、寝入るまでで良い。なぁ、十兵衛、頼むよ」

「……承知しました」

幼き日の同門のように二人は語り合い、夜が耽る。








(相変わらず、寝つきが良いというか……)


話を始めてしばらくすると眠そうな顔をみせていたと思っていたら、半時もせぬ間に寝息が聞こえてきた。幼少の頃も目を閉じればすぐに寝ていた印象があったが、今も健在とは。懐かしさも一入だ。
将軍職に着任してから、めっきりと顔をみせることもなくなったが、真面目さと真っ直ぐな性分は変わらぬままだ。見聞を広めるこの旅が、果たして吉と出るか、凶と出るのか……不安は拭えない。

(いくら我ら裏柳生が警護しているとはいえ、姿を晒している以上誰に悟られぬとも限らない)

豊臣の残党もまだ各地で身を忍ばせているだけに過ぎない。その上、徳川の世となってからも関ヶ原で渋々東軍に着いた大名家も多い。外様として今は従属の形をとっていても、まだまだ天下を諦めたわけではない。身内の中にも敵は多いのだ。
城内での警護ならば手のうちようもあれど、外ではなんの盾もない。数に物を言わせられては万に一つのこともある。





不意に部屋の外でかすかに物音がした。
十兵衛は大刀の柄に手をかけたまま、障子の端を五寸ほど開く。夜風が隙間から室内に吹き込み、その冷えた風が神経をさらに際立たせた。その先に広がる闇の中には何の姿も目に捉えられずとも、十兵衛の視線は一点から動かない。夜目は諜報活動の基本である。十兵衛にはそれとともに気配を察しているのだ。

「十兵衛さま」

風に紛れるようなかすかな声音が十兵衛の耳に届く。動じることなく十兵衛は視線を闇夜に向けた。

伊兵次(いへいじ)か……何用だ?」

柳生の裏の顔。諜報活動を主な仕事としている忍びの組織。裏柳生の配下である。声はすれども姿は決して見えず、伊兵次は十兵衛の手足となって働いている者の一人だ。

「ハ、至急十兵衛さまのお耳に届けよ、と大殿が」

「父上が?……して」

宗矩自らの言伝とは珍しい。十兵衛はわずかに声音を落とす。

「このたびの上様御行列を狙う者あり、と」

伊兵次の言葉に十兵衛は片眉を吊り上げた。
情報の漏洩は致し方ないとはいえ、敵方の情報は道中の空気を凍らせる。一時の油断も隙も与えるわけにはいかない。

「なるほど……その目星は?」

「確信はございませんが、幕閣と繋がりのあった都築安房守(つづきあわのかみ)の噂も……」

「都築安房守!?……上様とは腹違いの兄弟筋でありながら、町娘が母というだけで次期将軍候補からはずされたといわれている……あの都築か」

明らかに殺気のこもった声音に伊兵次は一瞬言葉を詰まらせる。

「は、はい。上様暗殺を目論み、我らの探索の結果、都築安房守は家財没収の上、閉門蟄居となりました。……しかし、本人の行方は今もまだわからずじまい」

「上様が江戸城よりお出でになる……この機会を逃すはずはない、か。伊兵次、手勢を集め警護の任、怠るでないぞ」

「御意」

風の流れと共にその気配も消え、十兵衛は何事もなかったかのように障子を閉めた。




「……よりによって、あの都築か」


十兵衛はそう呟いて顔を顰める。

都築安房守兼次(つづきあわのかみかねつぐ)、城中で幾度か顔を見たことがあったが、腹の中で何を考えているのか読めぬ部分も多々あった。家康公の孫でありながら、母親の身分が町人であったこと、隠し子として育てられていた生い立ちに城内へ上がった後も陰口を叩かれたとの話もある。役職に取り立てられてからもその執着は激しく、次期将軍候補として家光に強い敵意を抱いていた。
それが将軍家光暗殺未遂事件へと発展するまでに時間はかからなかった。闇のうちに解決したその事件は十兵衛がその指揮をとりながらもまさに間一髪のところであった。都築は、そこまで……裏柳生の手こずらせたほどの策略家でもあった。


「この道中、果たして無事に終わるか……否か」

傍らで寝息を立てているのが、将軍家光などと信じられないが、この姿こそが家光本来の姿なのかもしれない。その姿を
十兵衛は部屋の柱に背を預け、静かに目を閉じた。








呟き:ドラマTで登場した都築の影が。ますます気の抜けない十兵衛と相変わらずの将軍さま。